一般的にこんなふうに感じるんじゃないかという、いわば多くの人の感情の共通項のようなものだろうね。
だったら、そういってくれればいいのに。
ぼくは単純だから、本当に、思ったままを答えていたからいけなかったんですね。
でも、一般的な感じ方に合わせなくてはダメですか。
ダメつてことはないよね。
でも、一般的にはどう感じるかを知って、尊重することは必要かな。
多くのひとがどう思うかを知ったうえで、自分自身の感じ方と比べてみることは、大切なことなんじゃないかな。
そうすることで、わかる自分もあると思う。
もう一つ、混乱するかもしれないが……。
作者が予期しなかったことが、読者の心で起きることは悪いことではない。
そこまで含めて、小説というつくりものはおもしろいと思う。
人の心の動きのおもしろさと直結してるといってもいい。
今の話、わかったところも、納得いかないところもあるけど、これまでとは違った気持ちで小説に向かえそうな気がします。
ルそう、それが、とても大切なんだよ。
書いた方が伝えようとしているものが違うのに、読み手がどんな種類の文章も同じように読んでいては、わかることもわからないし、感じることも感じられなくなるものね。
今日もぼくにつき合ってくださって、ありがとうございました。
もう一日だけ来て話したいのですが、いいですか?明日も大丈夫だよ。
せっかくだから、日頃、疑問に思っていることを全部話題として出すといい。
じゃあ、そうします。
さようなら。
詩とは何か。
こんにちは。
今日もお世話になります。
一つ教えてほしいことがあるんですが、いいでしょうか?もちろん、いいよ。
教えることはわたしの仕事だからね。
でも、答えられないこともあるよ、きっと。
わたしだって、そう何もかも解決できているわけじゃないからね。
いつになく弱気ですね。
ぼくが何をいい出すか、わかっているみたいじゃないですか?わかるさ。
おとといが評論、きのうが小説と来たんだから、今日は詩とは何ですか、どうして詩なんて勉強するのでしょうっていうんだろう。
この問いは、芸術とは何かと直結するからなあ……。
なかなかさえてますね。
あたりです。
まさにその詩のことが聞きたいんですよ。
何を隠そう、国語という教科で一番嫌いなのは、詩なんですよ。
わけわかんないもの。
そもそも、詩って何でしょう?ああ、始まった。
詩って何だろうね。
言葉を短くちぎって並べたら、詩になるのでしょうか?それはノーだな。
散文詩のような、短くちぎらないものもあるからね。
じゃあ、できるだけわけのわからない言葉を暗号のように並べたのが詩かなあ。
そんなわけないだろう。
どう見えるかという表面的なことより、内容を考えなくっちゃな。
詩は何を伝えようとしているかとかね。
評論のキーワードは、現実世界、意見、感情に対して頭で考えること。
小説は、現実とは別のもう一つの世界、感情、心で思うこと。
どうですか?こんなところでいいでしょうか?うん、きのうまでの復習だよね。
合格だ、君はなかなか理解力かおるね。
詩は、現実世界か、もう一つの世界か、というところからいこうか。
現実世界じゃないですね。
でも、小説のようにもう一つの世界をつくっているというのとも、ちょっと違うように思います。
じゃあ、どんな世界っていわれると、ちょっと困るんですけど……。
たしかに評論の扱う世界より、小説のつくる世界の方が近いような気がするね。
意見を伝えるか、感情を伝えるかについては、どうだろう?それは、感情でしょうね。
でも、やっぱり小説とは違うなあ。
詩は、感情というより感性といった方が近いんじゃないのでしょうか?うん、そうかもしれない。
ここからはわたしの思っていることで、そうだと断定する自信まではないんだけど……。
話してみてください。
うん。
人間の精神活動は、意識のレベルで行われている。
でも、その何倍もの無意識の領域がある。
無意識の大きさに比べたら、われわれが意識できるのは氷山の一角だという。
あっ、どこかで聞いたことあります、その話。
それで?小説にしろ、評論にしろ、意識のレベルでの活動という点て変わりはない。
詩は、無意識レベルの精神活動だっていうのですか?それは、ちょっと変ですよ。
無意識じゃあ、伝えようも受け取りようもないじゃないですか。
そこがいい表しにくくて困っているんだ。
もちろん、詩を書いたり、読んだりという行為は、意識下で行われる。
しかし、詩は無意識の方に架けられる橋のようなところがあると思うんだ。
詩は意識から無意識に通じる路をつくることがあるんじゃないだろうか。
意識の側から無意識の方に光をあてているといえるかもしれない。
いや、待てよ、無意識というより潜在意識といった方が近いかもしれない。
とにかく、一般的な感情より深いところから発せられる言葉だと思う。
わかったような、わからないような……。
具体的な例で説明してくださるとわかると思います。
透明な過去の駅で遺失物係の前に立ったら僕は余計に悲しくなってしまった、こんな短い詩でもわからないことだらけで、頭が疑問符でいっぱいになってしまうんです。
「あの青い空の波の音が聞えるあたり」って、どのあたりなんでしょう。
この世のどこかを指しているのでしょうか?どうもそうとは思えないし……。
心の中にある場所なのかなあ。
「透明な過去の駅」というのは、何のことでしょう?「透明」という言葉と「過去」という言葉とが一緒に使われて「駅」という言葉を形容するなんて……。
降参です。
助けてください。
わたしよりいい解説者がいるよ。
詩人の茨木のり子さんが解説してくれているから、これを読んでみてよ。
遺失物係の世話になったことのある人は多いはずです。
おとし物が戻ってきたときはうれしいけれど、あとかたもなく消えうせてしまったときのわびしさ。
おとし物が多いせいか係の人は事務的にさばいて、あまり人間的な言葉を発してくれません。
この詩のなかの遺失物係に人はいたのでしょうか。
人気のない駅。
どうも無人だったような気がします。
しかも、おとし物が何だったかも忘れてしまって、忘れたという感覚だけが残っていて。
途方にくれて。
すべてが曖昧で、それなのに、へんに澄んだ世界です。
生まれてくるとき、人はどういうところを通ってきたのでしょうか。
「私はどうして今、ここにいるのだろう」「いったい何をやっているのだろう」「なんのために生まれてきたのだろう」思い出廿そうで、うまく思い出せない世界。
両親がいたから生まれてきたのに間違いはないけれど、もう一つ別の、抽象的なルートに思いを馳せるようになったとき、人は青春の戸口近くに立ったことになるのでしょう。
日本語にはくものごころつく、という味わい深い言いかたがありますが、体がつねに細胞分裂をくりかえして大きくなってゆくように、心の世界でも幼年時代の単一さから、分裂の気配をみせはじめます。
自分を客観的にとらえようという動きが出てきて、さまざまな欠落感になやまされるようになります。
「かなしみ」という詩も、そんな問いの一つかもしれません。
(茨木のり子『詩のこころを読む』岩波ジュニア新書)どんなに頭のよい人だって、自分に起こってきたことをすべて記憶しているわけではない。
毎日毎日、いろいろなことを忘れながら生きている。
そのことに無自覚でいられるうちは、幸せなんだけれど、あるときふと立ち止まって考えてしまうんだ。
何かとんでもない忘れ物をしてきたのじゃないかってね。
そういうことって、ない?子どもの頃、大切に思っていたこと、子どもの頃の感情は、どこかに落としてきたような気がする。
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